私が社交不安障害になったキッカケ

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皆さまこんにちは。マックナゲットのソースはマスタード派の灰人です。

私の年齢は現在、30代半ばなのですが、社交不安障害を発症したのは幼少期の頃からだと思っております。

今もなお、その障害に悩まされている日々でして、なぜか年齢が増すごとに悪化している気がします。

悪化している理由、

そして悪化させずに生きる方法が、

ただ一つだけあることは自分自身で良くわかっているのですが、

悪化している理由それは、自分自身が掲げた目標に到達するべく、日々忙しなく仕事をしているから悪化しているのです。

悪化させずに生きる方法は、惰性に生きることです。何も目標を持たず、責任のない人生を歩んでいれば悪化せず、今よりも平凡に暮らせていることでしょう。

けど私は、30半ばですけど夢や希望を諦めていません。

お金持ちになってみたい。

あの女性を振り向かせたい。

みんなに頼られる人になりたい。

一度きりの人生なので、私は全部を諦めるわけにはいかないのです。

そして、社交不安障害を完治させることもあきらめてはいません。

いつか必ず治さなければいや、治らなければならないのです!!!!!

この記事を書きながら、チクショーコノヤローくそったれーと、半べそを搔きながら思っております泣

余談が過ぎましたが、記事のタイトル通りに私が社交不安障害になったキッカケを書いていこうと思います。

父親の顔色をうかがいながら生きた幼少期

ハイドの生い立ちの記事にも書いてあるのですが、

現世を生き抜く発達障害奮闘blog | 灰人の生い立ち (hattatugrayman.com)

私は小さな頃から落ち着きがなく、頭も悪く、毎日のように同じような事で叱られていました。

特に父親の𠮟り方が、鬼のような鉄拳制裁でしたので、幼いながらも僕はこのまま殴打されて死んじゃうんじゃないかっていつも思っていました。

今の時代なら、近所からすぐに通報されるぐらいの父親の怒鳴り声と私の泣き叫ぶ声、そしてぶっ飛ばされてる音。

鉄拳制裁タイムは毎回、約一時間ほどだったのではないかと思っています。体感時間は異常なほど長く感じていました。

近所迷惑にもほどがあったと思います。

そして、

私がうめき声のようなものを発した時に、やっと母親が止めに入って鬼のしつけタイムが終わっていました。

僕は、なんでもっと早く助けてくれないの?といつも思っていた気がします。

このように父親があまりにも厳しかったせいで、私は普段から父親にビビりまくっていました。

何をするにも、どこへいくにも、父親の顔色を伺いながら行動していました。

「今日学校でこんな事あったんだよ」「お父さんこのやり方おしえて!」

みたいな会話は一切なく、話しかけたら殴られると思っていましたし、父親からも

「今日は何を学んだんだい?」

と聞かれた覚えはありません。

私が小さな頃から親子の絆は破綻しており、父親が仕事から家に帰ってくるタイミングでいつも逃げるように寝ていました。

ですが、しょっちゅう叩き起こされては、ボコボコにされていました。

このような生活を幼少期からおくっており、同じ屋根の下に暮らす父の顔色を伺いながら、ビビりながら生きてきたせいで、大人になってからも、自分より偉いと思った人たちにはビビるような人間になっていました。

小さな頃から目上の人は全員、恐怖の対象です。。

そして幼いころに植え付けられたトラウマは、大人になってもなかなか消えないものです。

大人になってから死ぬほど苦労します。

今、お子さんがいる方たち全員に言いたいです。

子供に親の顔色をうかがわせてはいけません

子供は、親の顔色をうかがいながら育つと、大人になって先輩や上司の顔色をうかがい、自分の意見がろくに言えなくなります。

そして、私のように自分に自信がなくなり、仕舞には精神疾患を抱えてしまうかもしれません。

精神疾患を抱えさせないように、

子供の意見を尊重し、聞く耳をもつ家庭に育てば、きっと将来、いい大人になるでしょう。

私は今日も社交不安障害と闘いながら生きてます。

正直、生きてるだけで精一杯です。

ですが人生を諦めたくないのでもうちょっと頑張ってみます。

ハイド

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